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東京高等裁判所 昭和47年(ネ)3057号 判決

控訴人

山本裕子

外一名

右両名訴訟代理人

高橋壽一

控訴人

高橋正明

右訴訟代理人

塚田善治

被控訴人

神保元二

右訴訟代理人

石川秀敏

外二名

主文

原判決を取り消す。

被控訴人の控訴人山本裕子同山本博に対する各建物収去土地明渡の請求及び右の附帯請求並びに控訴人高橋正明に対する建物退去土地明渡の請求を棄却する。

訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

一控訴人山本両名に対する請求

神保元超が昭和二五年九月一五日山本正に本件土地を建物所有の目的で存続期間二〇年の約で賃貸したこと、山本正が本件土地上に本件建物(ただし、現況は後記のとおり。)を所有したこと、神保元超が昭和三七年一月一九日死亡し、被控訴人が相続により本件土地の所有権を取得して賃貸人の地位を承継したこと、山本正が昭和四四年死亡し、控訴人山本両名が共同相続により賃借人の地位を承継し、本件建物の所有権を取得したこと及び控訴人山本両名が昭和四五年八月三一日到達の書面により被控訴人に更新請求をし被控訴人が昭和四五年九月一七日到達の書面により控訴人山本両名に更新拒絶の意思表示をしたことは、控訴人山本両名の認めるところである。

よつて、以下、右更新拒絶権の行使による本件賃貸借契約更新の有無について判断する。

(一)  〈証拠〉によると、次の事実を認めることができる。

1  賃貸の事情及び賃貸に関する特約

神保元超は、本件賃貸当時娘洋子がピアノの個人レツスンを受けていた山本正(当時○○大学音楽部助手)から間借先の立退きを迫まられて困窮していることを訴えられ、同人の清潔な人柄にひかれ、芸術家としての精進の妨げとなることを懼れた妻ヨシの強い要求を容れ、自己の所有地を賃貸することにした。神保元超は、賃貸当時、大田区田園調布○丁目○○番の○○(後に町名地番変更により○丁目○番の○となる。)宅地396.69平方米(以下「甲地」という。)及び同区○丁目○番の○(後に町名変更により○丁目となる。)畑(現況宅地)三九〇平方米(以下「乙地」という。)を所有し、甲地上の所有建物に居住し、乙地を長男元美及び次男元二(被控訴人)の建物敷地とすべく予定し、乙地東側に既に長男元美名義で建物を建築していたが、西側は空地のままであつたので、この部分を山本正に賃貸した。これが本件土地である。

神保元超は、右のように、将来本件土地に被控訴人を住まわせる計画を立てていたので、賃貸に先立ち、山本正に右計画を話し、賃貸期間は二〇年とするが、如何なる場合といえども期間を延長しないこと及び山本正を娘洋子のピアノレツスンのため紹介した音楽評論家田中一郎が契約締結に立会うことを契約の条件とすることとしたところ、同人もこれを了承し、田中一郎立会の下に本件賃貸借契約が成立し、契約成立を証するため賃貸借契約書(甲第二号証)を作成し、賃貸の右条件を明らかにするため、期間不延長を中心とする特約条項を入れ、田中一郎は、立会人としてこれに署名押印した。

2  賃貸後の経過

山本正は、右賃借後本件土地上に木造スレート葺平家建居宅床面積59.50平方米を建て、母、妹、弟らと住み、昭和三六年秋右建物を改築して本件建物(現況は、当審鑑定人米田敬一の鑑定の結果によると、一階81.81平方米二階31.40平方米である。)とし、その頃○○大学出身の控訴人山本裕子と結婚した。なお、増改築後の窓は二重構造とし、ピアノの音により他に迷惑がかからないようにしてある。

右増改築について、神保元超は、山本正宛の昭和三六年九月一二日付書信で、心よく承諾しているが、賃貸借期間の終了する昭和四五年九月一五日には契約どおり本件土地を明渡してくれるよう通知している。

控訴人山本裕子は、結婚後夫正とその母らと本件建物に同居することになつたが、義母との折合いが悪く、うつ病にかかつていた正を診察した医師の勧めにより、義母は、昭和三七年九月正の弟妹と共に○○区○○○○○○○番地(その後住居表示実施により○丁目○番○号となる。)橋本方に間借りし、正夫妻と別居した。山本正は、母らが別居して約二ケ月後に前記精神病のため入院し、その後入退院を繰返し、この間控訴人山本裕子を相手に離婚調停の申立をなし、次いで、離婚訴訟を提起し、右訴訟係属中に昭和四四年一二月四日自殺した。

賃貸人の地位を承継した被控訴人の母ヨシは、期間満了の際約旨どおり本件土地を返してもらうべく昭和四四年九月頃田中一郎を介して控訴人山本裕子に前記特約履行の意思を打診するとともに、山本正に対し、手紙で右意思の有無を問うたところ、山本正は、同年一〇月八日付書信で、妻との離婚訴訟が終り次第本件土地の問題を解決するから、それまで猶予して欲しい旨を返事し、その後間もなく前記のように自殺したので、明渡交渉は一時頓挫したままになり、賃借人の地位を承継した控訴人山本裕子は、本件土地を約旨どおり明渡す意思を示さなかつたので、被控訴人は、本件土地明渡にともなう本件建物の買取価額等の附帯事項を事前に折衝しておいた方がよいと考え、昭和四五年三月頃右折衝を契約立会人田中一郎に依頼した。田中一郎は、右依頼に基き、同年四月から同年七月までの間に数回にわたり、双方を工業倶楽部に招き、明渡についての折衝を試みた。この席に、賃貸人側からは、被控訴人、兄元美及び母ヨシが出席し、賃借人側からは、控訴人山本裕子及びその父中川友一が出席した。田中一郎は、控訴人山本裕子及び中川友一に対し、契約書(甲第二号証)を示して、神保元超が山本正に本件土地を賃貸するに至つた前記経過、及び前記特約を説明し、本件土地の明渡しを円満裡に行なうよう双方を説得した。工業倶楽部における折衝の席上、被控訴人から、同控訴人が他に移転する都合を考慮し、明渡猶予期間三年を設ける提案がなされたが、当時被控訴人山本博は、小学校に入学したばかりであつたので、田中一郎は、控訴人山本博が小学校を卒業するまで明渡しを猶予するよう被控訴人を説得したところ、被控訴人は、これを了承し、控訴人山本裕子は、この提案を積極的に拒否する意思表示をしなかつたので、田中一郎は、明渡そのものについての基本線について双方の諒解が得られたものと思い、明渡にともなう附帯事項は本人間で協議させることとし、仲介から手を引いた。そこで、双方は、同年七月一九日神保元美方において、具体的折衝に入り、この席上、被控訴人は、明渡に関する契約を裁判上の和解とすべく、和解条項案を書き、これを控訴人山本裕子に示した。この席に出席した中川友一がその場で和解条項案を写し取り、検討することとして別れた。中川友一が写し取つたものが本件で証拠として提出されている乙第二号証である。被控訴人が示した和解案は、「(イ)本件賃貸借契約を合意解除する。但し、立退き猶予期間は六か年とする。(ロ)借地上の建物は被控訴人が買取る。但し評価時点は立退きの六か月前(昭和五一年三月一五日)とし、評価は、双方が個別に依頼する不動産鑑定士の評価額の中間価額による。(ハ)立退き猶予期間中は賃料相当損害金(年額三万円)を被控訴人が受取る。」というものであつた。控訴人は、右和解案を検討した結果、これを拒否することとし、同年八月一一日頃第一ホテルにおいて被控訴人の代りに出席した神保元美にその旨を伝え、同月二八日到達の書面により更新を請求したので、被控訴人は、控訴人らに対し、昭和四五年九月一七日到達の書面で更新拒絶の意思表示をなし、本訴に及んだ。控訴人山本両名は、右更新請求に対し、被控訴人において遅滞なく異議を述べなかつたと主張するが、右のように、右更新請求は、明渡交渉中になされたものであり、被控訴人は、期間満了後間もなく更新拒絶したのであるから、右主張は、理由がない。

3  被控訴人が本件土地を必要とする事由

被控訴人は、東京大学工学部卒業後同学部研究室に籍を置いて学究の道を進み、助教授になつたが、昭和四一年名古屋大学工学部教授となり、現在肩書住所地の公団住宅を賃借し、ここに妻及び娘と三人で居住している。被控訴人は、同大学に勤務するかたわら、朝日新聞の読書委員をし、学会各種研究会に出席のため上京する機会が多かつたが、専攻が化学工学であるので、公害問題が深刻となつた昭和四四、五年頃から会議等のため上京する回数がとくに多く、月のうち三分の一近くは上京し、自己の実家あるいは妻の実家等に宿泊している。被控訴人は、右のように、上京する機会が多く、書籍も、名古屋の居宅だけでは不十分なので、実家及び妻の実家に分散しており、また、被控訴人の母は、伊藤忠商事株式会社に勤務する兄元美が昭和四八年頃ニユーヨーク勤務となつて以後一人で東京に暮しており、妻の両親も病弱で、最近では妻がその世話のために東京と名古屋の間を往復している実情にあるので、被控訴人としては、居を東京に移すのが、公的の立場及び私的の立場からも好都合で、母校の東京大学工学部に転勤を希望しているが、現在のところ転勤の具体的な動きはない。

なお、神保元超は、昭和三四年一一月頃甲地と同地上の建物を訴外川上高市に売却し、その代金で○○区○○○丁目○○○番地○所在の宅地二〇〇坪を友人から賃借して同地上に三棟の建物を建築し、このうち二棟は、元超夫妻及び長男元美夫妻が居住し、他の一棟は他に賃貸し、現在賃料は、被控訴人の母ヨシの生活費に充てられている。また、神保元超は、乙地のうち本件土地以外の部分に建築した前記元美名義の建物を昭和三五年三月株式会社小松製作所に社宅用として賃貸していたところ、昭和四一年八月明渡しを受けたので、神保元超の相続人間で協議した結果、乙地のうち本件土地を被控訴人の所有とし、母ヨシの老後の生活費に充てるため、右以外の部分及び地上建物を売却することに決め、買主が決まるまでの間富田某に一時貸したあと、右土地と地上家屋を昭和四二年一二月二六日天野時勝、同静江に売却した。

4  控訴人山本両名が本件土地を必要とする事由

控訴人山本裕子は、昭和四一年頃から二、三の子供を相手に本件建物でピアノのレツスンをつけていたが、夫の死後は収入がなくなつたので、右レツスンを受ける子供の数を増やし、現在の収入は、ピアノレツスンの月謝、○○保育学園講師(週二回)としての給料、母子年金、児童手当、本件建物の間貸代を合せて一ケ月一二万円程度で、貯金する余裕もなく、資産もない。本件賃貸借契約の存続期間満了時の昭和四五年九月一四日当時控訴人山本博は小学校一年生で、下校時刻が午後二時頃であるので、控訴人山本裕子としては、夕刻まで勤務する職場に就くことは、この関係からもできるだけ避けたいことであり、同控訴人の収入、資産からすると、被控訴人から六〇〇万円の提供を受けても、他に所有家屋を求めることは不可能であり、所有家屋を求めるのでなく、借家することも間借りすることも、ピアノのレツスンを中心に生計を維持しなければならない同控訴人の立場としては、経済力の面ばかりでなく、ピアノの騒音の面からも極めて困難であるというべく、同控訴人の実家にも控訴人山本両名の生活を維持する余裕はない。

(二)  以上の認定事実によると、貸主及び借主双方とも本件土地を必要としているが、控訴人山本両名が本件土地賃借権を喪うことは、直ちに同人らの死活問題につながるのに反し、被控訴人において本件土地の明渡を受けられないことは、前記認定の如き種々の不便、不都合をともなうことにはなるが、控訴人山本両名の死活問題に較べれば、耐えがたきものではなく、本件土地の必要度は、控訴人山本両名の方がはるかにまさるものといわなければならない。しかし、本件では、期間不延長の特約がなされているので、右特約を更新拒絶の正当事由との関係でいかに評価すべきであるかの問題がある。右特約は、借地人が借地法第四条により有する更新請求権を奪う約定で、借地人に不利なものであり、借地法第一一条により無効であるが、それは、右特約自体により借地権を消滅させることはできないという意味において無効なのであり、右特約がなされた事情まで無視すべきではなく、右特約を正当事由判定の資料とすることを妨げない。従つて、本件土地を必要とする度合は、被控訴人より控訴人山本両名の方がはるかに強いのであるが、正当事由の有無は、右必要度に右特約の趣旨を加味して考慮しなければならない。

神保元超は、乙地を長男及び次男(被控訴人)の居宅敷地として確保していたのであるが、山本正の窮状を救うため、当時次男の居宅が建つていなかつた本件土地(乙地の西側部分)を山本正に好意的に賃貸したのであり、賃貸に先立ち、本件土地を次男の居宅建築地として使用する予定であることを山本正に説明し、本件土地をいずれは次男に使用させるという貸主側の自己使用の目的を貫く趣旨で、期間不延長の特約をしたのであり、右特約をしたについては、それだけの正当な理由があつたのであり、貸主の強い立場を利用した特約と異るので、借主が右特約を尊重しなければならないことはいうまでもない。しかし、契約が遵守されるべきであるというのは、契約がなされるにいたつた客観的事情にさしたる変化がない場合にいえることであり、契約時の事情が当事者の予想もしない著しい変更を来したのにかかわらず当初の約定を遵守させることは、信義則上、逆に、不当であると評価されることにもなる。事情変更による契約解除が認められるのはそのためである。従つて、期間不延長の特約を正当事由との関連において評価するに当つても、事情変更の有無に留意する必要がある。本件では、貸主の側にはさしたる事情の変更は見られないが、借主の側には著しい事情の変更がある。それは、山本正の自殺という契約当事者の予想もしない事実が発生したことである。山本正が生存していれば、期間満了時における本件土地の必要度が被控訴人より大であるとしても、前記特約を尊重し、他に間借りしてでも本件土地を明け渡すべきであるが、控訴人山本両名には、前認定のように、それすら極めて困難な実情にある。右のように、借主の側に著しい事情の変更があつた以上、前記特約を遵守すべき義務は、極めて薄らいだというべく、右特約は、更新拒絶の正当事由を判定する上で評価されるべきでなく、控訴人山本両名の本件土地に対する必要度が被控訴人の必要度よりはるかに高い本件では、被控訴人の更新拒絶は、正当事由のないものというべく、本件賃貸借契約は、期間満了とともに更新されたものであるので、更新されないことを前提とする被控訴人の請求は、理由がない。

二控訴人高橋に対する請求

控訴人高橋が本件建物のうち被控訴人主張の部分を占有していることは、当事者間に争いがなく、〈証拠〉によると、控訴人高橋は、右占有部分を控訴人山本両名から賃借していることが認められ、控訴人山本両名は、前認定のように、本件土地賃借権を有するので、控訴人山本の本件建物部分の占有による敷地部分の占有は、被控訴人に対抗しうるものであり、控訴人高橋に対する請求も失当である。

三以上の如く、被控訴人の控訴人山本裕子同山本博に対する建物収去土地明渡の請求及び附帯の請求並びに控訴人高橋正明に対する建物退玄土地明渡の請求はいずれも失当であるので、これと異なる原判決を取消して被控訴人の右各請求を棄却することとし、訴訟費用の負担について、民事訴訟法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

なお、買取請求権の行使により本件建物の所有権が被控訴人に移転することを条件とする各請求は右買取請求権の行使が、本件土地賃貸借契約が更新されないことを条件とするもので、判示の如く更新されるものである以上右請求は審判の対象とならない。

(小山俊彦 山田二郎 堂薗守正)

第一目録、第二目録〈省略〉

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